最近ネットでは「初音ミク」に関する話題が注目されている。前回に引き続きOtomania氏&たまご氏のインタビューとこれまでの初音ミクの系譜についての総括をお届けする。
<「Ievan Polkka」制作者インタビュー:後編>
初音ミクブームの火付け役となった作品『VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた』を制作されたOtomania氏とたまご氏にインタビューさせていただき、制作のキッカケや初音ミクの魅力について伺った。(以下敬称略)
購入する前『これ(初音ミク)って、歌わせることができるだけで、曲そのものはこれだけではできないよ?』って言いましたよね?(笑)
これまで4回にわたって初音ミクを紹介してきた総括として、今回は初音ミクの魅力とその可能性について個人的な所見をまとめてみた。
<初音ミクの魅力とは>
今回「Ievan Polkka」制作者のお二方にインタビューさせていただいたが、制作者自身が楽しんで作られていることが伺えた。初音ミクの魅力とは、制作者と視聴者双方が楽しむことができるのが一つの大きな要因となっているのは確かだろう。その上でニコニコ動画といった楽しむための場が存在したことが、今日の大きなブームに繋がっていったのではないだろうか。
そこでこれまで紹介してきた作品の傾向について年表的にまとめてみた。
作品傾向から考察すると興味深い点が見受けられる。それは既製の楽曲やCMを歌わせたり再現した作品に対しては、ジャンル的な広がりが見られないのに対して、オリジナルの曲では分化・融合を繰り返しながら様々なジャンルが派生していったことである。
恐らく既製の曲については既にイメージが確立された完成品であるため、それに近づくことがゴールとして見えておりオリジナルを越えることがないのに対して、オリジナル曲は完成度という点ではゴールはなく、自分のイメージを反映させ納得するまで無限にクオリティを上げていくことができるからではないだろうか。可能性とかのりしろの深さを比べると、既製曲よりオリジナル曲のほうが遙かに魅力的である。それがこれだけの多彩なジャンルを生み出した要因ではないだろうか。
そのほか以下の点においても、盛り上がりを支えたと共に新たな可能性を生み出したと考えられる。
【不完全が生み出す2.5次元キャラクターの魅力】
先ほど述べた既成曲とオリジナル曲の違いと同じことであるが、もし初音ミクが完璧に歌を歌いこなすことができたのなら今日のような盛り上がりは存在しなかったであろう。
例えば、これまでもゲームの世界では伊達杏子などのバーチャルアイドルが生まれたが、初音ミクほどの広がりを持ったブームは生まれなかった。その一つとして、伊達杏子は歌やキャラの性格などが既に完成された存在であることがあげられる。
完成された存在であるため自分好みにカスタマイズする要素が少なく、あくまで客観的な視点で周りから見ることが中心であったのに対し、初音ミクはもともと声質とパッケージのイラストしかなく、キャラクターとして不完全な存在であった。そのためユーザは、曲やイラストなどを作る事によって初音ミクという存在を自らの手によってブラッシュアップしてきた。自分たちの手で作り上げたキャラであるからこそ愛着心や感情移入を起こし、今日の盛り上がりを作りあげてきたのだろう。
もう一つには、キャラクター活用の幅の広さがある。伊達杏子などのバーチャルアイドルは、主にゲームの中のキャラクターであったため、ゲーマーを中心としたユーザ層にしか着目されていなかったが、初音ミクは、作曲やイラストなどそれぞれ得意とするモノを持ったユーザの手によって作り上げられてきたため、DTMのみならず様々な分野のユーザ層に着目されることとなった。
これら2つの理由はどちらもユーザによって生み出し、育てられてきたキャラクターだからこそ成しえた事象である。さらに最近では初音ミクの曲を歌う動画が現れるなどコンピュータからリアルへ進出してきたこれまでの活動とは逆転する事象も起きている。2次元から3次元といったリアルへの志向と3次元から2次元へアプローチする双方の動きを持つのが初音ミクという新たな2.5次元キャラクターの魅力なのである。
【声という財産の保全】
技術的アプローチは異なるかもしれないが、VOC@LOIDが自由かつ自然にしゃべることができれば声優などの声を保存することにより、病や事故などによって本人の声や命が失われたりしても、声優の交代によって違和感を覚えることもなくなるかもしれない。
また現在の技術では自然に話すことが無理でも、これまで紹介してきた作品のように歌にメッセージを乗せるのであれば十分初音ミクに声を再現させることは可能だ。こういった“声”という無形財産を守るためにも有効な製品ではないだろうか。
【創作体制/生産性】
作品以外にも創作に対するスタイルを初音ミクは変えた。それは、初音ミクに関するイラストや音声といったソースを様々な制作者が流用し、そこにプラスアルファの要素を加えることでよりクオリティが高い作品を作り上げる。
そして公開された作品を見たユーザからのコメントをフィードバックしてブラッシュアップすることでさらによりよいものが生まれるといったオープンソースやマッシュアップ的な創作スタイルを生み出したことである。
このような活動が連鎖的におきたことが今日までに膨大な作品を生み出した原動力となり圧倒的に高い生産性を持っている。
<最後に>
これまで約1ヶ月に渡って紹介してきた初音ミク特集であるが、今回取り上げた理由は初音ミクが持つキャラクター性や可能性の他にも、初音ミクの動画の盛り上がりによって動画そのもののあり方が変化したことが明らかになったと考えたからである。
Flashムービーをはじめとする従来の動画コンテンツは動画そのものが完成された作品であり、FLASHや動画作成ツールなど市販の高価なソフトを駆使してクリエイターが1人で作るという唯一無二の存在であった。
事実2006年にFlashが世間一般の注目を集めたころ、一人でアニメが作られているという点ばかりがクローズアップされていた。それゆえFlashや動画のコミュニティなどでは、未完成の作品や他の作品を流用したような作品に対して批判的なコメントが多く、多かれ少なかれクリエイターに対して心理的なプレッシャーを与えオープンソース的な活動を阻んでいたように思われる。
しかし、ニコニコ動画の初音ミク作品においては、先に述べたように自由に作品を流用しそれぞれ思い思いの作品を作り上げているだけでなく、タイトルにバージョンが付加されているように試作段階でも視聴者からの意見を得るために公開することが許容されている。そこには高価なソフトなどは必要なく、フリーソフトやビデオカメラの撮影だけで作られた動画も存在する。
つまりニコニコ動画などで公開されている動画はもはや「作品」ではなく、作品を直接的または間接的に伝えるための「手段」となっているのである。
動画共有サービスが狙って作り上げた雰囲気なのか視聴者側のコンセンサスに基づくものなのかはわからないが、創作活動の勢いを考えると明らかに「手段」としての動画のほうがより多くの可能性を生み出している。
動画をはじめとしたUGC(User-Generated-Content)がネット上に現れてから具体的に実社会に大きな影響を与えるほどのモノは、一部のクリエイターを除きまだ生まれていない。それは動画を作品としてネットの中に閉じこめてしまっているからではないだろうか。
特に動画においては、これまで著作権を守るという名目で規制をかけようとする動きが盛んであった。
著作者の権利を守ることも重要ではあるが、手段という面からもコンテンツのあり方を考えてみれば、より多くの道が開けるかもしれない。
事実最近になってからJASRACをはじめ、様々なコンテンツホルダーが動画共有サービスと提携する動きを見せている。いずれにせよ創作活動の勢いを削ぐことがないように動画共有サービスを巡る様々な問題が解決されることを期待したい。